「むらおか 古今東西」村岡の歴史

柄沢公園入口に村岡地区の歴史を記したパネルが設置されています。

柄沢公園


むらおか 古今東西
村岡地区の歴史
 地区内は、柏尾川流域の低地と丘陵から成り、重なり合う岡の群れが地名の由来とされ
ています。西端の境川は急郡境で、かつては相模国鎌倉郡に属していました。
 12世紀初め鎌倉源五郎景正(景政とも書く)が田畑を開き、以来、鎌倉党という武士団
の根拠地になりました。宮前、対岸の川名・鎌倉市梶原などの御霊神社に景正が祀られて
おり、村岡城址公園や橋名になっている古館のあたりは当時の武士の館だったと考えられ
ます。また、地区内に武蔵府中(東京都)方面から鎌倉街道が通っていました。特に宮前あ
たりは柏尾川を渡る交通の要所で、元弘3年(1333)鎌倉幕府の滅んだ合戦では激戦地と
なりました。室町時代の村岡郷は鎌倉鶴岡八幡宮の所領で、16世紀には川名に市場が開
かれています。
 村岡郷は、寛永年間(1624-44)に高谷・小塚・宮前・弥勒寺・渡内の5ヵ村に分村し
ました。天保12年(1841)の『新編相模国風土記稿』によれば、各々の家数は16・14
・30・17・16軒、また、柄沢村が30軒、川名村が36軒と記録されています。明治22年
(1889)この7ヵ村が合併して村岡村となり、昭和16年(1941)に藤沢市に合併しまし
た。当時の様子は、昭和18年(1943)刊行の山川菊栄著『わが住む村』に描写されてい
ます。
 地域のほとんどが農業を営む典型的な農村でしたが、昭和40年(1965)代から工場進
出、宅地化が進み、自然の地形や古くからの田園風景が一変しました。
  昭和20年(2008)3月
                                        藤沢市教育委員会