二伝寺(にでんじ)

二伝寺は 渡内3丁目13-1 にあり、村岡地区の北東部の端にあります。
二伝寺を一歩超えると鎌倉市に入ります。

二伝寺は、山ひとつがそのままお寺の敷地です。
海に面した藤沢市で標高が最も高い地点(73.5m)だそうです。
墓地を抜け、竹林を過ぎると、村岡五郎平良文公墓前碑があり、
そこから細い道を上ると平良文(村岡五郎)とその子、忠光、孫の忠通の塚があります。
それらは、三人の墓と伝えられています。
そのうち良文の塚の部分がまさに藤沢市最高地点だそうです。
ただし、周辺は木が生い茂り、残念ながら眺望はありません。
墓苑の木々の切れ目から周辺を見渡すことができますが、今もこの周辺は岡や谷が
あちこちにあり、起伏が激しいことが分かります。
ただ、このあたりもここ数年で大分家が建ってきて新しい街並みになってきました。

 

 


 
 
二伝寺の縁起が書いてあります。
 
戒法山宝国院 二傳寺
 当寺は戦国時代の永正二(一五0五)年、玉縄城址 北条氏時の発願によって開山された寺
です。開山にあたっては福原左衛門忠重の援助がありました。
 当時は玉縄城から尾根つづきで地域で一番高い場所にあり、加えて旧鎌倉街道に沿っていた
ので、玉縄城の砦の役割を担うために寺を創建し利用したと考えられます。
 開山当時、寺号は違うものでしたが、大本山光明寺に伝わる本山伝の伝書が紛失した時
に、当寺に本山伝の写し(二つ目の伝書)があったので二伝寺と呼ばれるようになったと伝えら
れています。
 
平良文(村岡五郎良文)
桓武天皇の四代あと、平高望
の五男、東下りして村岡城に
居を構え、村岡五郎と称しま
した。後に鎮守将軍に任ぜら
れ、坂東平氏の始祖と言われ
ています。境内山頂に、初代
平 良文 二代 忠光 三代 忠
通 の塚があります。